5月6日に大病中の母が旅立ちました。
今年の12月で還暦だったんですが、とても悔しいです。
3月中旬あたりに、訪問看護士さんに錯乱状態があり、
あまり長くない事、寝てる間にも息がとまる可能性もあると宣告され
気が気じゃない日々と日に日に重たくなる介護に精神的に自分も不安定な状態になっていました。
ただ、それでも 母の歩きたいとか、生きたいと言う力が原動力だったのか
一ヶ月と数週間生きながらえたのは生命力が強かったんだと思います。
先生や看護士さんはかなり無理をしてるとも家(病院ではなく)の力なのかもしれないと驚いていました。
イベント当日、行くか行かないか悩んでいたんですが、相方や友人に任せて行かない事を選択しましたが
夕方頃、看取りました。
もっと引きずるのかと思っていたんですが、もしかしたら3月あたりの方が泣いていたかもしれません。
頑張って生きた母の事を思うと、つらさや悲しみというより、今は寂しさの方が強く出てます。
看護士さんや、ヘルパーさんが母以外にも自分の事も気遣ってくださったり、
励ましてくださったりがなければここまでへばりついての介護は出来なかったと思います。
介護が始まったあたりから、左瞼の痙攣とストレス性のショック症状が出てるようで
日によって出方が違うんですが、今はそういう部分が少しでも和らぐようにしたいです。
絵とかサークル活動は、やりたいので無理の無い程度にやっていきます。
ただ本調子までは更新や参加が(法要等で)不安定になるかもしれませんが、ご了承ください。

それでも、母の日は花を贈りました。
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